余白の美

文字は約3500年前の甲骨文字に始まり、金や石、布、紙と様々に刻され、また書かれ、日本でも7世紀半をかけて平安時代には独自の仮名文字が生まれました。このような長い歴史の中で幾多の名跡が生まれ、書は伝達や記録などの実用体から芸術へと高められていきました。

世界広しといえども、文字が芸術にまで高まったのは漢字と仮名くらいではないかと思います。

現在、書には一つ一つの字義にこだわり、その描く文字の美しさに焦点を当てて書かれたものと、感覚的に描いた線と点の造形美に焦点を当てて書かれた ものとがありますが、どちらも書き手の思いを表現することにおいては同じといえるでしょう。

一方、鑑賞する側から見ると、数ある作品の中でも目で捉えた一 瞬のうちに美しいと感動するものがあります。それは一体何によるものなのでしょうか。

墨の色、鍛え抜かれた線、書かれている言葉、形の美しさ等々の条件が 揃っているからなのでしょうか。確かにそれらの要素は大切です。しかし美しいと感じるのは、やはり余白の力ではないかと思います。

余白とは、ただ白く残っているのではなく、「白が息づいて」いなければいけません。面白いもので、お稽古のとき手習いされる方は、手本を見て書くと 必ずと言ってよい程、お手本よりも字が大きくなります。

ある人から「なぜ大きくなるのかわからないのですが、何故でしょうか?」と聞かれたことがありま す。「それは、白く見える部分にも線は伸び、気脈が通り息づいているからです。白い部分にも筆は働いているのですよ。」と答えました。

一見大きく見えるお 手本の字は、白い空間にまで大きくせめ込み、結果として字が余白に余情と余韻を残すため、大きく見えるのです。したがって、作品は大作になればなる程、余 白もそれだけ書かれた墨と同じくより大切になります。

勿論、書き手の力量があってのことですが、充実した余白は見る人にも美しい印象を与えます。

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「墨の力と白の力」。筆を持つ時も鑑賞する時も、一度視点を変えて書いたり観たりするのも面白いのではないかと思います。